恥とマスは掻き捨てナマステ

ヨーグルトが好きです。アートと映画と音楽と野球は、もっと好きなようです。

オリジナルをうんぬんするのは難しい。

時そば」といえば有名な落語の演目だ。有名すぎるのでいちいち紹介するのは野暮かもしれないけど、はばかりながらも親切心を発揮して紹介するとこんな噺だ。
そば屋で十六文の勘定を払うときに、客が「一つ、二つ、三つ……」と一文ずつ出していく。「八つ」まで数えたところで「いま何時だい」とそば屋の主人に聞く。主人が「九つで」と答える。客は「十、十一……」と数えていくことで一文ちょろまかすっていう噺。このあと、このやり口を真似ようとした別の男が失敗、という流れが待っているが、それはそれとして。
この「時そば」には、元となったオリジナルの演目があって、それは「時うどん」だそうだ。上方の「時うどん」を三代目の柳家小さんが江戸に移植したんだとか。ここまでは割りと有名な話。
で、実は「時うどん」にも元となったオリジナルの話がある。

享保十一年の正月に刊行された『当流軽口初笑』の中の「他人は喰ひより」がそれ。短いので、以下引用。

他人は喰ひより
お中間、お使ひに出て、先様でひまが入つて、日は暮れる、腹は減る。鎌倉河岸で蕎麦切を食ひ、「亭主、今のはいくらぞ」「六文でござる」。煙草入れの底に、五文ならでなし。よもや負けはせまいと思案して、かの銭を、一ツ二ツ三ツ。「亭主、何時ぞ」「四ツでござる」「四ツか。五ツ、六ツ」と数へてやつた。

時そば」の元となった「時うどん」の元となったのはそばの話。
で、現時点ではここで打ち止めになってるけど、今後は「他人は喰ひより」の元になった話も出てくるかもしれない。それはうどんの話かもしれないし、そうめんかもだし、女郎買いだったりするのかも。
なのですから、よっぽどのことがない限り、オリジナルがどうのなんて意気がった口を、わたしは叩けそうにありません。