★社長の代わりに糸井重里さんが訊く「スーパーマリオ25周年」の「インプットがおろそか。」で、糸井重里がこんなことを語ってた。引用に際し、行をすべて追い込みにしました。悪しからず。
しょうもないテレビを見てるときに、オレはものすごく努力をしてるんです。つまり、「このドラマ、ダメだなぁ」みたいな結論を出そうとしてるとき、もう、ものっすごく、集中してる。
頭をフル回転させ、そのドラマの何がダメかを真剣に考察していると糸井は語る。で、それを受けた宮本茂も、NHKの朝の連続テレビ小説を見てるとき、「毎回、どうダメなのかを説明しながら見てましたね」と返す。そんで、糸井が総括。
オレ、いままでこの話は自分の会社の社員にもうまく言えたことがなかったけど、今日言えた。つまり、うちの社員たちが、アウトプットしようと思って、なんとか出そうとしてるときの努力ってのは、遅いんだよ。インプットのところで、すでにいい加減なんだから、アウトプットで急にいいものが出るわけないんだよ。
このまとめを読んで、直接的な関係はまるでないけど、ジブリの鈴木敏夫が語っていた、宮崎駿のとあるエピソードを思い出した。うろ覚えなので細かいところはすごく適当に言うけど、確かこんな話だった。
ある日、宮崎駿が最近観た映画について鈴木敏夫に対して熱っぽく語った。「燃えている夕陽をバックに、ガンマンがここぞとばかりに早撃ちをし、孤児の少女を抱え上げ、颯爽と帰っていく素晴らしいシーンがありました。いい映画でしたよ!」とかなんとか。宮崎駿の語ったところは、本当にうろ覚えすぎるので全然ちがったと思うけど、要するに「素晴らしい画があって、とてもいい映画だった」と語りました。
で、鈴木敏夫はすっごい期待して、その映画を観に行く。しかし、映画がどんなに進んでも、宮崎駿の言っていたシーンなんてまるで出てこない。そして、そのままエンドロールへ。とうとう鈴木は気づく。宮崎駿は、映画に触発されて、ありもしない映像を勝手に幻視したのだと。
これこそ、糸井や宮本が語るインプットの究極形だと思うのです。
★データベースなことは機械にやらせておけばいいのだ。麻耶雄嵩の『貴族探偵』で貴族がいいこと言ってた。
どうしてこの私が推理などという面倒なことをしなければならないんだ。雑事は使用人に任せておけばいいんだよ。