恥とマスは掻き捨てナマステ

ヨーグルトが好きです。アートと映画と音楽と野球は、もっと好きなようです。

もっと素敵な冴えた殺り方を。


ザ・コーヴ」を観ました。渋谷はシアター・イメージフォーラムで。
おお、おもしろい! でも最低。
マイケル・ムーアの「ボウリング・フォー・コロンバイン」のときと同じで、語り口はとってもおもしろいんだけど、手法やら志やらがホント最低。自分たちの叩きたい相手に対してなら、なにをやってもいいと思ってる。ムーアだとかイルカにかぶれた人たちを代表として取り扱ってはいけないのかもしれんけど、やっぱ西洋人ってアホなんじゃないか。と、「ザ・コーヴ」の中に貫かれている差別意識そのまんまで切り返したくもなる。
どうも西洋人ってのは、魂と肉体のうち、やたら魂だけを重要視したがる。つまり「肉体は魂の牢獄である」と。魂こそ最高! 魂を磨け! ビバ最後の審判! この考え方を突き詰めていったとき便利なことは、目には見えない魂というものが良し悪しの基準とできるため、恣意的に対象の善悪や高低を測れることだ。よって下手すりゃイルカは人間より高尚であり善きもの。そのイルカを殺す奴らは低劣で悪しきもの、と簡単に理屈づけられちゃう。
その昔、スピリチュアルやらイルカやらの書籍を読みあさってた知人から聞かされたことがあるけど、イルカっていうのは七次元の世界に生きる動物らしい。なので人間などという愚劣な生き物はイルカの足下にもおよばない。ということを大真面目に語っちゃう人たちがイルカの周りにいる人たちです。その知人はおもしろいことも教えてくれて、七次元に生きる生物ともなると苦痛や激痛はむしろ快感であるらしい。なので、どんなひどい殺され方をしようとも、「あぁ〜! きもちいい! きもちいぃよぉ〜! もっと殺してぇ〜!」とイルカは大喜びするんだとか。本当かどうかは知らんけど。そういうことも書いてある本があるんだってさ。ソースはわたしの知人。
ともかく。「ザ・コーヴ」の中で行われているのは違法行為のオンパレード。違法な手段でもって手に入れた証拠は正当な証拠として採用されない、いわば違法収集証拠排除法則っていうのは日本だけの話じゃないはず。もちろん「ザ・コーヴ」は映画であって裁判に使われる証拠ではない。しかし司法に対する意識が高い(はずの)西洋人たちであれば、この映画を手放しで受け容れることなど到底かなわないと思うんだけど。
それにしても。観客たちの期待をうまくあおり、関心を上手に引っ張っていき、そして最後にあの血の海を炸裂。この映画における「編集」っていうのは完璧なんじゃないだろうか。映画を学ぶ人たちの教材としてもいいぐらい。映像っていうのはこうやって繋ぎ合わせれば最大の効果が得られるんだなって心底から感心する。
正直、相手の土俵に上がりたくはないけれど、それでもこの映画の言うことに耳を傾けてやるならば、もっとスマートで素敵な殺し方を編み出したほうがいいかなとは思う。あんま効率的じゃないでしょ、銛で一匹一匹を突き殺すのって。入り江の中にあんだけの数を閉じ込めてるんだから、電気ショックで一気に殲滅とかできないのかな。海だから電気は危ないか。殺し方に改良の余地が大いにありだと思う。