恥とマスは掻き捨てナマステ

ヨーグルトが好きです。アートと映画と音楽と野球は、もっと好きなようです。

「実話」なんて糞食らえ。

「ザ・ファイター」を観た。川崎はチネチッタで。

「based on a true story」で始まったので厭な予感。やはり案の定だった。
クリント・イーストウッドの「チェンジリング」は、「実話に基づく」などという卑怯な言葉を用いず、「A true story」で始まる映画だった。その立派な巻頭言に相応しく、あの映画は「真実の物語」であり、素晴らしい映画だった。
ひるがえって「ザ・ファイター」はどうか。「実話」の上にあぐらをかいてるのではないか。
そもそも「実話」などという言葉はまやかしに過ぎず、語る人の技術によって「話」というものは如何様にも形を変える。だから。「実」の「話」など存在しない。
または。「実話だから素晴らしい」、「実話だからすごい」という言葉は、「実話だからしょうがないよね」を内包している。
関係ないけど、でもちょっと関係もさせたいのだけど、「ヒア アフター」に限らず全ての映画を上映中止にしてはいけない。断じて。「実話」が偉くなりすぎると物語が迫害される。「実話」だって物語なのに。
ともかく。「実話」なんてのは鼻で嗤い飛ばすものであって、偉そうに標榜するものではない。標榜するのであれば堂々と「A true story」と掲げればいい。そうやって勝負するべきだ。「ザ・ファイター」という題名が色褪せて見える。
大事なことなのでまた言うけど、「実話」の上にあぐらをかかないで欲しい。「実話」だからと言って、葛藤と成長、決別と和解のプロセスをおざなりに描いていいわけではない。「実話」という看板が吹っ飛ばされて無くなった状態でこの映画が上映されたら。「実話」という魔法の言葉が無かったら。そう考えただけでも、この映画の評価は自ずと出る。
でもクリスチャン・ベールの後頭部が禿げてたのは良かったです。