恥とマスは掻き捨てナマステ

ヨーグルトが好きです。アートと映画と音楽と野球は、もっと好きなようです。

女子大生が性欲の最前線。


元気がなくなったとき、折にふれて見返すというものが誰にでもあるだろうと思います。
それは小説だったり音楽や絵画、映画であったり色々だろうけれども、自分を鼓舞し、勇気づけさせ、また明日から前のめりで生きていく気にさせる何かを、誰しもがお持ちでしょう。
わたしにも最近とりわけ気に入ってるフレーズがあって、落ち込んでるときに見返して、切ない世情を笑い飛ばしてます。
それは2ちゃんねるに立ったスレ 『女子大生の乳しゃぶりながら一番キモイ事言った奴優勝』 の1に書かれたフレーズなのですが、要するにこれ。

大人にねぇ…大人になってくんだねぇ…

スレの流れを見るまでもなく、スレ主の1のフレーズが一番キモイわけで、文句なしに優勝。
で、何回か見返してる内に、キモイのは1に書かれたフレーズどころか、1の立てた課題設定そのものからしてキモイであろうことに、われわれはようやく気づくわけです。
スレの12あたりでも疑義が呈されているように、本来ならば女子高生を議題にもってくることこそが当世風ではないかと思われます。正直、女子高生ですら現代においてはトウが立っていると見なされかねません。
今や女子中学生どころか女子小学生、女子園児をすっ飛ばして女子赤児にまで、欲望のパイオニアが到達せんとしている現代において、今さらなぜ女子大生なのでしょうか。その疑問に突き当たったとき、われわれは片岡鶴太郎のリーゼントもどき姿が脳裏をちらついてやまないことでしょう。要するにオールナイトフジです。
昭和の一時期の日本において、女子高生などという存在はジャリでしかなく、女子大生こそが性欲の射程圏ギリギリに位置していたことを思い返されなければなりません。
そもそも女子高生を性の捌け口にできるのは何もオッサンだけとは限らず、男子大学生であっても女子高生へのキモイ欲望を募らせることは可能です。よって、女子高生をターゲットにしてしまえば、性の狩人の範囲が男子大学生までをも含めてしまいます。「男子大学生=キモイ」という世論が形成されていないため、男子大学生が含まれる可能性があると具合が悪い。オッサンこそが至上のキモイ存在である以上、女子大生こそが理想的なキモ・ミューズといえます。
女子大生にキモイ欲望を募らせて然るべき対象とは、もはや社会に出て大人になってしまいオッサンになり果てた男どもでしかありえないわけで、女子大生という概念をわざわざ持ち出してくる輩はオッサン以外に他ならぬこと、そしてオッサンこそがキモイ金字塔であることからも、スレの議題そのものが既にキモイという結着に至れるわけです。さらに突き進めて思索すれば、「オッサン=キモイ」という価値観を導き出すことすらキモ懐古すぎるわけで、この論考もキモイ引力圏より逃れることができません。
その後、このスレの二番煎ずりとして出てきたスレ 『女子高生に中田氏しながら一番キモイ事言った奴優勝』 においては、女子高生などという当たり前の概念に留まっているがゆえにキモくないし、中出しなどという直接的な行為しか凡庸に想起できないところから、オッサンでなくただの若かりし童貞の青臭いつぼみしか想像できず、さっさかソープに行けばよいのです。「中田氏」というネットスラングを使っている時点で、昭和は遠くなりにけり。
女子大生うんぬんのスレにあえて提案を呈すのであれば、「乳しゃぶりながら」ではなく「乳ねぶりながら」のほうがいいのではないか、と思いつつも、「しゃぶり」のほうがやはり語感が大変よろしいのだなと、マスを掻きながらシコシコ首肯せざるを得ないのでした。