2023年の1月のこと。1通の封書が、瀬戸内海に面する役所から届いた。
私は、東京で生まれ育った人間だ。ふだんの生活とはみじんも関係ない地方からの郵送物。とっさに「詐欺的なやつか?」と警戒する。
しかし、この場所は親父の出身地だったなと思い至った。とはいえ、その親父は数十年前に鬼籍の身だ。不穏な気持ちのまま、とりあえず封を開けてみる。
ご親族の死亡について(通知)
手紙の見出しには、こう記載があった。続いて本文。
令和4年※月※日(推定)に、あなたの兄(異母兄弟)にあたる※※※※様が亡くなられたことが確認されましたので、お知らせします。
氏名の記憶は全然ないものの、そういえば親父の葬式のときに腹違いの人が来てたなぁと思い出す。母親からそういう存在がいることは聞かされていた。
葬式の場で「ほら、あいつだよ!」と母親から憎々しげな口調で教えてもらったことも、今になってまざまざと思い出す。
母親という存在にも色々な感情があり、様々な思想があるのだと、十代の私は初めて知った。
そのとき、腹違いの彼と会話を交わすことはなく、彼の姿はやや遠めに見かけたに過ぎない。当然、彼の顔なんかはほとんど覚えていない。めがねを掛けていたような気がする。そんな程度だ。
彼とは血が繋がってるとはいえ、ほぼほぼ完全に他人だ。死んだことを告げられても、すぐに感慨が湧くこともなく。
しかし、「そうか……彼が亡くなったのか……」などと、生きとし生けるものの義務感として、とりまエモい気もちに無理やりなってみたりもした。もちろん本音では、「知らんがな」である。
手紙を読み進めると、「生前は生活に困窮」「生活保護を受給」などと書いてあった。
彼の人生に少しぐらいは思いを馳せてみたいものの、残念だが彼に対する知識はほとんどない。ただ、彼の出身校については母から聞いた記憶がある。それは、私学の雄といわれる大学だった。
ああいう学校を出ても「困窮」の人生を送るんだなぁと、まさしく諸行は無常である。偏差値だけでは飯が食えん世の中だ。
彼の死亡情報を読むと、「死亡年月日(推定)」と「死亡確認日」が別に書いてある。発見が遅れた、いわゆる孤独死ってやつなのだろう。
推定日と確認日の間は、1か月以上もあいてる。ただ、亡くなったのは真冬の時期なので、彼のご遺体はそこまでひどくなかったのだろう、などと変な安堵感を抱いたりもした。
彼の住所についての記載を読む。彼は集合住宅に住んでいて、番号によると部屋は1階のようだ。
Googleマップで調べてみる。建物の名前が分かったので、不動産サイトでも確認。最寄りの駅からは徒歩20分以上、鉄骨造りで全8部屋の4階建てマンションだ。
近所には牛丼チェーンの店があった。彼は牛丼を食べていたのだろうか。私は生きてるし、牛丼を良く食べるぞ。と、死んだ彼に謎のマウント。
ストリートビューでも確認してみる。1階にある2部屋のうち、どっちなのかは分からない。どちらにしてもベランダの前は駐輪場だった。
彼の生年月日についても記載がある。私より20も上だったのか、などと変な感心をする。しかし、普通であればまだまだ死ぬような年齢でもない。
そういえば親父もこの年齢で死んだなぁと、いやーな符号に気が付いてしまう。なんだか自分の寿命が急に心配になってくる。
それにしても亡くなったのは1年近く前だ。こんなにも月日が経ってから連絡が来るものなのか、と意外に感じる。役所なら戸籍を調べて、私の存在なんてすぐ特定できそうなものなのに。
そういえば親父の葬式に、彼の母親も来てたことを急に思い出す。彼の母親はどうしたんだ、亡くなったのか、それとも縁を切ってるのか、なんで私にお鉢が回ってきたんだ、とぐるぐる考えてみる。その疑問への答えは、届いた手紙に一切見当たらなかった。
「連絡事項」という項目には、「遺骨の引き取り」「債権」といった物騒な言葉もある。先ほどの「生活保護」の記載も相まって、彼と大学が同じ小説家を真似してみれば、「やれやれ」の思いである。
遠縁の人間が孤独死したらしく遺骨を引き取ってくれませんかという手紙が地方の役所から届いた
— Mondo★Bizarro (@Mondo_) 2023年1月24日
※ツイッターでは「遠縁」とぼかしたが、実際はこのブログにあるように腹違いの兄。
本文の最後には、「ご親族である(私の氏名)様にお話したいことがありますので」連絡して欲しいとある。連絡先として役所の住所や部署名、電話番号と担当者名が記載されていた。
だが、おいそれと電話していいものだろうか。なんてったって「遺骨」や「債権」だ。さすがに知らんおっさんのもろもろを引き受けるのは気が重い。
すかさず、Googleで「相続放棄 時効」を調べてみた。相続放棄できるのは、「死んだのを知ったときから3か月以内」とのこと。
なるほど、なんらかの手立てを考えないといけない。いろいろ聞きたいこと、確認したいこともある。とりあえず役所のウェブサイトにアクセスし、部署のページへ飛んでみる。目立たないところにメールアドレスがあったので、担当者宛てにメールを出した。
私から聞きたいことは3点。
- 彼の死因は?
- なぜ彼の母親ではなく私が相続人?
- 債権の金額は?
1週間してから返事が来た。
- 彼の死因は? → 消化管出血の疑い
- なぜ彼の母親ではなく私が相続人? → 彼の母親は死亡してる
- 債権の金額は? → 生活保護費の過払い金がある
3については、1円単位まで細かく記してあったが、ここでは10万円程度と書くに留めておく。
彼は年金も受給していたとのことで、その場合の生活保護は年金分を差し引いての給付となるらしい。ところが二重で払ってしまったため、その過払い分が10万円ほどあるとのことだった。
もちろんこれは役所に対する負債でしかなく、役所が把握してないだけで民間の借金が別にある可能性は否定できない。
腹違いのおっさんの負債を私がまとめて負担する義理も仁義もへったくれもなかろう。地獄への道は善意で舗装されており、すまんが私からすれば善意というのは屁よりも比重が軽い。
よく知らん人の遺骨をもらう情景を想像すると不謹慎ながら笑けてくる
— Mondo★Bizarro (@Mondo_) 2023年1月24日
※ツイッターでは「よく知らん人」とぼかしたが、何度もいうように腹違いの兄である。
遺骨をもらうのもネタとしてありかな、と悪い考えが頭を一瞬よぎった。しかし、私のようなおっさんが、ネットでの承認欲求を満たすためだけに、腹違いのおっさんの遺骨を入手して何になるというのか。
おっさんがおっさんの骨を抱える姿を想像してみた。正直ぞっとするだけだ。私みたいなおっさんが承認欲求を満たしたいのであれば、ガールズバーに行けばいい。承認欲求は金で買え。けだし箴言であろう。
気を取り直して、相続放棄の方法を調べてみる。相手の戸籍といった書類を取り寄せて、最終的には家庭裁判所に申し入れれば良いらしい。手間を惜しまなければ、自分でもできそうだ。
しかし、私は12万円ほど支払って弁護士に依頼した。よう知らんおっさんのために自分の時間を使うぐらいなら、金が掛かっても人にやらせたほうがマシである。結論からいえば委任状を書くだけで、あとは弁護士が全部やってくれたのでとっても楽ちんだった。
ちなみに司法書士を使えばもっと安くなるらしい。ただ、その場合は役所からの書類は自分に届き、司法書士は代筆ができないとのこと。つまり、司法書士を使えば任せっきりにもできず、なんらかの対応が必要となる。
何度でもいうが、よう知らんおっさんのために自分の時間は使いたくないのだ。血が繋がってるとはいえ、血は酒よりも薄い。焼酎の薄い水割りでは酔生夢死など夢のまた夢。よって、弁護士に全権を委任したのだ。
そのおかげで、のほほんと過ごしていた結果、相続放棄陳述受理通知書と相続放棄陳述受理証明書という文書が、弁護士を介して私の手元に届いた。
・相続放棄受理通知書・・・相続放棄が受理されたことを裁判所が通知する書類
・相続放棄受理証明書・・・相続放棄が受理されたことを裁判所が証明する書類
なんで2種類あんの!と思ったが、どうも意味合いが違うらしい。複雑怪奇ではあるが、えてして世の中というのはこんなもの。おっさんともなれば、こんなことで動じてる余裕もないし、常に酔っ払ってるので脳みそは死んでる。
解説すると通知書は、相続放棄が通れば必ず発行される書類。しかし、1回しか発行されないので紛失すると再発行されない。逆に証明書は、裁判所に請求しないと発行してもらえない。しかし、何度でも発行できる。
死亡した腹違いおっさんに債権者がいた場合、相続放棄を証明するときは、通知書じゃだめで証明書を要求される場合もあるらしい。このへんの事情は知らんかったので、弁護士が気を利かせてくれ、証明書のほうもまとめて請求してくれてたってこと。
ちなみに現時点で債権の催促は来ておらず、おそらく死亡した腹違いおっさんに借金のたぐいは無かったのだろうと思われる。なので、役所の債権10万円に対し弁護士費用は12万円となり、弁護士代のほうが高くついた。
しかし、損したとは思っていない。あの時点では民間の借金があったかどうかも分からず、そもそもよく知らんおっさんの遺骨を受け取らずに済んだからである。
おそらくだが、相続放棄をせずとも遺骨は受け取らないという選択肢もできたように思う。しかし、その場合は無縁仏としての納骨手数料を役所から請求される気がする。なんにせよ後腐れなく済ませたので弁護士に相続放棄の手続きを頼んで良かった、そう思ってる。
もし、よく知らんおっさんが死んでよく分からん相続問題が降って湧いたら、自分でやるか、それとも弁護士や司法書士に頼むのか、それぞれのケースを見極めて対応してほしい。
ちなみにうちの親父だが、今でいう反社というやつだ。総会屋というやつだった。今になって思えば、家のリビングボードの中を開けると、そこには札束がわんさか積んであった。銀行には預けることができない、うしろめたい金だったのだろうよ。
親父には、認知はしなかったけど他にも子どもがいたようだ。そんな話を母親から聞いたことがある。親父には思い当たりがないので認知しなかったのだろうけど、相手の女性には何らかの思い当たりがあって認知を求めたのだろう。
もちろん今となっては親父の子どもかどうか分からんが、遺恨は残さないに限る。無計画なセックスのときは否認、じゃなくて避妊をちゃんとしよう。そんなメッセージが、地獄から聞こえた。
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