恥とマスは掻き捨てナマステ

ヨーグルトが好きです。アートと映画と音楽と野球は、もっと好きなようです。

鈴木のトークショーへ行ってきた。


スタジオジブリ鈴木敏夫さんが、トークショーをやっていたので行ってきました。
喋っていた内容は、『仕事道楽』の記述とかなりかぶっていたり、他のところでも喋ったり書いたりしている既知のことが多かったように思います。
とはいえ、折角行ってきたことだし、記憶が薄れないうちに、脳に残っている残存物だけでも箇条書きテイストで備忘録しときます。
なお、このトークショーは録音してたらしく、11月以降の「鈴木敏夫ジブリ汗まみれ」というラジオで流れるそうなので、正確な内容はそちらでご確認ください。


宮崎駿の引退について

宮崎駿(以下、宮さん)は、「引退」の二文字を若いときから言ってる。いつだって目の前の仕事に集中しており、次のことは考えないつもりでやってる。なので、デビュー作のときから監督を辞めるって言ってる。
カリオストロの城」は今でこそたくさんの人に愛されているけど、当時は実写と二本立てでやって、客が全然入らなかった。掛けた金は3億だけど、入ってきたのは1.5億。そうすると「あいつは面白いもの作ったけどお客さんこねえな」という烙印を押され、監督として追い込まれる。宮さんは「もうアニメーションはやめる」と言ってた。

ナウシカのころ

あのころの宮さんは、絵本作家になることや漫画を描いていくことを考えてた。そんなとき、アニメージュの漫画を依頼した。宮さんにとっては渡りに舟。その「ナウシカ」が、運よく映画になった。
ナウシカの映画を作ってるときの宮さんは、日常付き合ってる宮さんとまるで違ってた。
宮さんは、朝9時に出社して午前4時まで働く。つまり19時間も働く。なんて働く男なんだろうとたまげた。日曜は一切ない。土曜もない。
宮さんはスタッフに言っていた。「この短い期間で映画を作らないといけない。これは非常体制である。俺に付き合って欲しい。俺は誰よりも早く来て誰よりも遅くまで仕事します。だから皆さんよろしくお願いします」。
宮さんは、ご飯を食べる時間ももったいないので、アルミの弁当箱にぎゅうぎゅう入ってる奥さんの作った弁当を、箸で半分に分けて、右をお昼、左を夕飯にしていた。食べるとき以外はずっと机の前にいた。
ナウシカの制作に入ったとたん何も喋らなくなった。
そんな宮さんが「一日だけ休みたい」と言った。珍しいことを言うと思ったら正月だった。元日だけ休んだ。そして2日から来て、また同じ生活だった。
ナウシカは、宮さんがやりたかったことを考えると、作業量も時間も足りなかった。
制作が公開に間に合わなくなったとき、みんなを集めて会議をした。プロデューサーである高畑勲さんが、なにを喋るのかとスタッフ全員、息を飲んで見守った。
高畑さんは、「間に合わないものは仕方が無い」と言った。
続けてなにを言うのかと思ったら、なにも言わなかった。
つまり、みんなが黙るって言う会議をやった。
宮さんは、「プロデューサーがそう言うんなら仕方が無い。この会議は解散します」と言って会議が終わった。

ナウシカのラストは違うものだった

ナウシカには、巨神兵王蟲が戦うシーンがあった。しかし、その乱闘シーンをちゃんと描こうとすると大変なことになる。
宮さんがラストの手前でどうするか迷った。話の最後をどうするか。そうしたら高畑さんがプロデューサーとして意見を言った。
「宮さん、王蟲を殺せ」。
当初のナウシカは、王蟲が殺されて巨神兵が生き残るという話の結末だった。でも、それをやってると映画の公開が間に合わないので、絵コンテを描き直して今の形にした。結局ギリギリ公開一週間前にできた。

徳間書店について

ナウシカは評判がよかったしヒットした。普通はヒットしたらパート2を作れって言うはず。しかし、徳間書店の社長・徳間康快はそんなこと全然要求してこなかった。
今の世の中は、売上と利益を追求する社会。
徳間で働いていたとき、組合のボーナスの要求は16ヶ月だった。会社の回答は11ヶ月。夏と冬を合わせると22ヶ月だった。
徳間で働いたとき言われたのは、「記者たるもの金のことは口にするな」。
そんな徳間でも、あるときから売上がどうの利益がどうのってなった。ナウシカのころの1980年代は、まだそういうのなかった。

宮崎駿の作画について

メイちゃんがトトロのおなかを押すと引っ込む。これを描ける人はいない。
宮さんがいなくなって、トトロをリメイクしようとしても、おなかを引っ込むように描ける人はいない。誰も描けない。単純な線で描いてるのに、どうしてああいうことができるのか不思議。
紅の豚などでも、本当に空飛んでる感じ。
宮さんは、頭で「空はこういう風に飛ぶんだろう」と妄想に妄想を重ねてる。トトロにしても、何回も何回もシミュレーションして描いてる。

★今後のジブリについて

スタッフを抱えて作り続けるのはストップする。昔のように、何かをやるときに人を集めてやるようにする。

久石譲について

久石さんを発見したのは高畑さん。宮さんと久石さんが組んだら上手くいくんじゃないかと思ったらしい。ふたりに共通しているのは、無邪気さ。

ジブリ美術館について

ジブリ美術館を作るときは本当に楽しかった。ところが出来上がったあとのことをあまり考えてなかった。毎年、企画展示をやらないといけないとか、色々追われて、維持するだけで大変。作りっぱなしじゃダメで、どう育てていくかが大事。なので、いろんなところに美術館を作るのは難しい。美術館とは別の発想があったら、他のことをやってもいいかな。

ジブリ映画の食べるシーンについて

火垂るの墓』では、着るものと住むところはどうにかなった。でも食べることには苦労した。
どんな映画を作るにしても、高畑さんと宮さんが大事だと思ってるのが「衣食住」。これらは、人間が生きてくうえで重要なこと。