恥とマスは掻き捨てナマステ

ヨーグルトが好きです。アートと映画と音楽と野球は、もっと好きなようです。

狐に始まり、狐に終わる、鳥刺し。


栃木県の那須に、「殺生石」という石がある。いささか物騒な名前を持つ「殺生石」とは、こんな石だ。
その昔、みかどの寵愛を受けた玉藻の前という女官がいた。玉藻の前はみかどをたぶらかし続けていたが、ある日、彼女は正体が狐であることを見破られる。狐は逃げだし、那須野が原まで行くが、ついに討たれてしまう。だが、その魂は大きな岩となる。それからというもの、鳥がその岩の上を飛ぶと必ず落ちてしまうという。そして、その岩は「殺生石」と呼ばれるようになった。
映画「必死剣鳥刺し」は、そんな謂われのある石を題材にした能の演目「殺生石」から始まる。
能の舞台を見つめるのは殿様とその家臣たち。そして殿の愛妾。能が終わると、愛妾がすかさず拍手をする。この愛妾の無邪気な振る舞いに対し、家臣たちは一様に渋い顔だ。しかし殿様までもが愛妾の後を追い、拍手をする。やむを得ず家臣たちも拍手。だが、拍手をしない男がただひとり。豊川悦司演じる主役の兼見三左エ門。その後、殿様と愛妾がその場を去ろうとするとき、事件が起きる。兼見が愛妾をいきなり刺し殺すのだ。
そうしてこの映画は、「なぜ兼見は愛妾を殺めたのか?」を、昔語りを交えながら映し出そうとする。その中で、兼見が殺した愛妾は、「殺生石」のお話にも似た、男を惑わす女であったことが明かされていく。まさに女狐。
兼見が殺しに至った動機を、ことさらに述べ立てることなく、淡々と描写していくことが、余計に観るものの心を打つ。
打ち首もやむなしの覚悟であった兼見だが、殿様より彼に下された沙汰は、一年の謹慎。殿中で刃傷沙汰を起こし、しかも殿様の愛妾を殺したというのに、あまりに軽い裁き。ここからこの映画はまた別の謎がふくれあがっていく。「なぜ兼見は殺されないのか?」。愛妾の死、そして兼見の生。命の去就が右へ左へと、ゆらゆら動かされるさまが続くことで、どんどん物語に引き込まれていく。
そして一年の謹慎が明け、さらに一年が経ったとき、兼見は密命を受ける。兼見の持つ必勝の剣技、必死剣鳥刺しの腕を見込んでの密命とは? 物語には、徐々に暗雲がただよい始める。
そして最高潮においてチャンバラが炸裂!
この映画のチャンバラは、決してケレンミあふれるようなものではなく、むしろ穏やかで静謐なもの。まさに日本的な間(ま)を大事にしたチャンバラ。だからこそ美しい。そして、さあ!
出た!
必殺技!
必死剣鳥刺し!!!!!!
そのあっぱれな動作、というより見事なギミックといったほうが適切か。ともかく決まった刹那、息をのむこと必死、いや必至。
そんなこんなで最後、兼見の屋敷に住んでいた池脇千鶴が出てくるんだけど、その場所が稲荷神社の前。稲荷といえば狐。化けた狐のお話「殺生石」で始まり、その化け狐にも似た愛妾はお話と同じように殺されたが、この映画は最後に稲荷の狐へともどってきた。しかし稲荷の狐が表す意味は、化け狐とは全然ちがう。日本では古来より、狐は豊穣の象徴でもあるのだ。よって兼見の迎えをひたすら待つ、池脇千鶴の現在は悲しいものであっても、その悲しみを乗り越えて生きていってくれるだろうと、彼女の将来の幸せを信じてもいい終わり方に、この映画はなっている。
いやぁ、よい映画だったです。佳品。