恥とマスは掻き捨てナマステ

ヨーグルトが好きです。アートと映画と音楽と野球は、もっと好きなようです。

ぼくの人生、まだまだ工事中。


カラフル」を観た。TOHOシネマズ川崎のプレミアスクリーンで。プレミアってなんじゃろと思ったら、全座席が隣りとの間隔を十分に空けてるリクライニングシートで、非常に快適。「カラフル」を観るなら川崎がいい。
なお、「カラフル」には原作の小説がある。未読です。また、「カラフル」には、森田芳光の脚本で作られた実写の映画がある。未見です。そして今回、「河童のクゥと夏休み」の原恵一が「カラフル」をアニメ化。「河童のクゥと夏休み」がおそろしくよかったので、期待しまくって観ました。
「カラフル」はこんな話。
とある罪を犯し、冥界をさまよう魂。その魂に、大いなる存在から生き返るチャンスのための試練が与えられる。その試練とは、自殺した小林真という中学生の少年に魂をホームステイさせ、真として生き返り、真としての人生を生きてみること。そしてその生き方いかんによって、さまよえる魂が生き返るにふさわしいか決めるという。
で、魂が乗り移った小林真という少年だけど、いじめられっこで友だちが全然いない。母親は不倫してる。好きな女の子は援助交際してる。鬱屈した毎日だけを送る少年。そんな彼の体を借りて、さまよえる魂は何を見て、何を感じ、何をするのか。

あるとき、小林真はひょんなことでクラスメイトの早乙女と仲良くなる。早乙女は語る。今は無くなってしまった玉電が好きだと。玉電とはその昔、渋谷から二子玉川までを走っていた路面電車。その玉電が走っていた跡を、小林真は早乙女といっしょに歩く。
なんてことない日常の、たわいない冒険。
なんでもない街の、ふつうすぎる風景。
それにしても。
なんでもない風景を表現するのに、アニメってうってつけなんだなって思った。
現実からうんとかけ離れた、空想的な風景こそがアニメの独擅場っていうのも確かに正解。でも高畑勲細田守、そして原恵一の「カラフル」を見ると、いやはや現実的な風景を描写したときこそ、アニメって胸に迫ってくるんじゃないかと思った。
この映画に出てくる風景を、実際にカメラで撮ったところで、このまったりした空気感は絶対に出せないと思う。魂が転生するというトリッキーな設定は非日常だけど、この映画で実際にひたすら広がるのは凡庸な日常の映像だけ。そんなら実写でやればいいじゃんという向きもあるようだけど、いや、これは実写じゃ無理。実写だと決定的に生々しくなっちゃう。そう考えると、アニメ「カラフル」は現実を舞台としてるけど、ある種のファンタジー譚として立派に成立してるんだなって思う。
なお、小林真の住んでいるところが、東京は世田谷区の等々力あたり。なので、風景として二子玉川あたりがよく出てくる。二子玉川の駅周辺はいたるところで工事中、遠くを見やれば建築途中の高層マンションも見えたりする。「カラフル」という映画を彩るのは、まだまだ発展途上の街の風景ばかりだ。
「カラフル」という物語の眼目は、小林真という少年の成長にこそある。その成長途上の少年の姿は、発展途上の街の風景にそのまま重なる。工事中が頻出する風景にはちゃんと意味があるわけ。そこには制作者の強い思いがあるわけ。流れゆく風景を眺めてるだけでちょっと涙ぐんじゃいました。
あと、この映画の予告編では『僕が僕であるために』がずっと掛かっていたので、エンディングテーマもそうなんだろうなって勝手に思ってたら、ぜんぜんちがくて、でもすっごくすごく好きな曲が流れたので、とっても嬉しい不意打ちだったぞ。