恥とマスは掻き捨てナマステ

ヨーグルトが好きです。アートと映画と音楽と野球は、もっと好きなようです。

白。

白夜行」を観た。豊洲で。

傑作だと思う。前半に限れば。
ブリーフ一丁で半裸姿の下品な男がいきなり出てくる。不穏な始まり。そして。タイトルが出てくるショットの焦燥に満ちた躍動感。息を呑むばかり。全体的に色味を飛ばした質感の画作りが為されている。まさに白夜行
船越英一郎が出てくるとは知っていた。なので火曜サスペンス劇場なノリだったら嫌だなと思っていた。しかし杞憂に過ぎなかった。監督が役者陣に好き勝手な演技をさせない。抑制がきいてる。しかし。それも前半に限るならばだ。
映画に限らず小説もそうだけど、ミステリの宿命として、魅惑的な謎を幾らぶちまけたところで最後に広げた風呂敷は畳まなければならない。物語は収斂されなければならない。よって、くどいほどの説明が求められる場合もある。ミステリとは騙り/語りの過剰さが要求されるジャンルなのだ。だからこそミステリを叙するときは、語りすぎる陥穽におちいってはならない。
この映画もミステリの危うい罠から逃れられなかった。最後、ひたすら船越英一郎の語りが映画を埋め尽くす。そして積み上げてきた謎の素晴らしさは、桐原亮司を演じる高良健吾の語りによっても無惨にぶち壊されてしまう。原作の在り方を変えてまで語る必要があったとは思えない。しかし今、邦画を作るとき、過剰と思えるほどの説明が必要なのかもしれない。「白夜行」ではないけれど、泣いているのに雨を降らせたり、映画のテーマをセリフですべて説明したり。しかし我々は説明を受けなければ理解できぬほどに白痴なのだろうか? そうは思わない。だから映画に限らず表現を為す人たちは勇気を持って説明などという野暮なことはしないで欲しいと思う。切に思う。「白夜行」においては、最後の説明をすべて省けば良かったのに。謎は謎のままに、観客に想像させるだけの終わり方にすればよかったのに。非常に惜しい。
制作はホリプロ。しかし同じくホリプロ制作による「インシテミル 7日間のデス・ゲーム」など足下に及ばぬほどの傑作であった。何度も言うが前半に限るのだけれど。
監督・深川栄洋の映画は他に観たことがなかったけれど、この監督さんは非常に丁寧で誠意あふれる御仁なのだろうと思う。様々な制約があるだろう中で、これだけのものを撮り上げるのだから素晴らしい。残念なことに傑作ではなかったが、東野圭吾の最高傑作『白夜行』をこれほどまでの水準で映像化した力量には頭が下がる思いなのです。