恥とマスは掻き捨てナマステ

ヨーグルトが好きです。アートと映画と音楽と野球は、もっと好きなようです。

別れた女が会いに来たときは要注意。

カントリーが好きだ。
いつごろからカントリーを好きだったのか、それは定かでないが、物心つくかつかないころから今に至るまで、カントリーの響きを聞くと、無性に心が落ち着く。耳に異常に馴染む。もしかして私はアメリカ人なんじゃないか、本当の親は別のところにいて、その正体はアメリカ人なんじゃないか、って幼いころのひととき、本気で思ってたことがある。実は今でもちょっと思ってる。
そう、カントリーが好きだ。
とはいっても、「どのカントリー歌手が好きなの?」とか「おすすめのカントリーソングは?」とか私に聞かないでおくれ。答えられないから。カントリーの歌手だとかバンドだとか曲名だとか歴史だとか演奏に使う楽器だとか、ほとんどわかりません。
でも、カントリーが好きだ。
テレビを見ててカントリーが流れてきたり。どっかのお店に入ったとき店内で流れてるカントリーをふいに聴いたり。映画で流れてくるカントリーに耳を傾けたり。カントリーに触れるのはそういうときだけ。CDを買いまくろうとか、カントリーについて調べてみようとか、そういうのは全然ない。
ただ、カントリーが好きだ。
なんとなく好き。そんなもんなんだけど、でもやっぱすっごく好き。

というわけでクレイジー・ハート
落ちぶれたカントリー歌手の物語だと聞きつけ、カントリー好きの血を騒がせながら観た。
いいねえ、カントリー。アメリカの演歌だなぁ。いいなあ、カウボーイハット。自分でかぶろうとは思わないけど。
主人公のバッド・ブレイクはどうしようもない飲んだくれでアルコール中毒。昔はカントリー歌手として一時代を築き上げるも、今では地方のドサ回りばかり。新しい曲なんてもう何年も書いてない。まだステージの途中だというのに、酒が回りすぎたのだろう、ゲロを吐きにステージを離れたりする。そんな彼が、ある日いつものようにドサ回りで訪れた街で、女性記者のジーンと出会うのだ。
このときの描写がすごくいい。
取材に訪れたジーンがバッドの部屋のドアを開ける。するとそこにはシャワーを浴びたばっかり、腰にタオルを巻いただけ、ほぼ全裸のバッド。あわてるふたり。バッドはすぐ着替えるから、とジーンをドアの外に出す。すばやく着替えて、改めてジーンを迎え入れ、ギターの置いてある椅子へと案内する。そしてギターをどかし、ジーンを座らせる。
これ。これがよかった。
カントリー歌手のバッドにとってギターっていうのはすっごく大事なアイテム。どんなに飲んだくれていようとも、彼はギターを疎かにすることはないし、几帳面にギターを手入れしたりする。そんな描写をこの映画はきちんとしてる。
バッドにとってギターとは最良の相棒。バッドはバディであるギターをどかして、その椅子にジーンを座らせる。このとき、バッドとジーンの間にはもちろん恋愛感情なんてまだ全然ない。会ったばかりなんだから。
でもわかる。ギターが占めていた場所を、代わりに独占した女性。観てる私たちにはすぐわかる。この人がバッドにとってのヒロインになるんだなって。さりげないけど確かに意味のある演出が効かされていて、ほんと心憎い。
この映画は役者陣の演技がとっても自然で心地よかった。バッドとジーンを演じてるふたりは当然よかった。そしてバッドの弟子で、今ではバッドよりはるかに売れっ子のトミーを演じるコリン・ファレルもよかった。コリンといえば八の字型の眉毛。この映画でもいつも以上に八の字型で末広がりでした。ありがたや。

で、唐突に書くけど、別れた女がしばらくぶりに会いに来たときは要注意。男ってのは基本的にロマンチストの塊なので、「お、なんだ、やっぱ俺のことが忘れられねえんじゃね?」とか、自分にとってアホなぐらい都合の良い幻想を抱きがち。でも、女は違う。決してよりを戻そうなんてことじゃない。
女が別れた男に会いに来るときってのは、新しい男ができたとき。幸せの絶頂のただ中にいるとき。女は安全圏を確保したとき、むかし愛した男のもとにわざわざ報告へ来やがるのです。女の人って怖い。