『ヒューゴの不思議な発明』をみました。3D字幕版をTOHOシネマズ川崎で。
結論から言えば、あまり好きじゃない。『ニュー・シネマ・パラダイス』や『落下の王国』もあまり好きじゃない。つまりそういうことなのです。
そもそも映画愛ってのは、映画そのものを映画で表現したときだけに謳われる言葉なのかなって思う。
映画なんてのは腹がふくれるわけでもなく、のどの渇きを癒すわけでもないし、汗で汚れたTシャツを洗ってくれるわけでもない。
映画なんざ日々の生活にまるで必要のないもの。だからこそ、映画は映画ってだけで素晴らしい。菅原文太はそこが分かっていない。
生活必需品じゃない映画なんていう、ろくでもなく美しいものを作るには、動物的な生存本能なんて当然不要、映画スタッフたちの映画愛だけが映画を撮るのに不可欠なわけで、すべての映画は映画愛に支えられてるのだろうと信じてる。
もちろん金儲けをもくろんで映画を撮る、もしくは生活のためだけに映画を撮るって人もたくさんいるだろうけど、贅沢三昧な生活をしたかったり、糊口をしのぐためだけだったら、現在において映画なんてまだるっこしく面白いものを手段にえらぶ必要はないと思う。
現状がどうであれ、映画に関わっている人が映画をえらんだ動機には、映画愛があるに決まってるでしょうに。
よってヒューゴだけが映画愛みなぎる映画ではない。
自主制作だろうがミニシアターだろうがシネコンだろうが、公開規模などどうでもよろしい。ハリウッドだ邦画だ台湾だ香港だ韓国だフランスだボリウッドだイランだ、どこの国の映画だろうとどうだってよろしい。メジャーだマイナーだなんて糞ファッキン食らえ。
すべての映画は映画愛に支えられているので、映画愛という麗句をヒューゴだけに飾ったりしないで、どんな映画にだって映画愛を飾ってあげたい。映画愛の果てに現前してしまった巧拙はもちろん無視できないけど。
ともあれ、ヒューゴもやはり映画愛あふれる映画だなって思うので、あまり好きじゃないけど別に嫌いってわけでもない。
メリエスが最後にヒューゴを指して言ってくれたように、私たちはみんなメリエスの子どもなのです。