恥とマスは掻き捨てナマステ

ヨーグルトが好きです。アートと映画と音楽と野球は、もっと好きなようです。

さっさと帰れよ。

衝動買いした森永のカスタードプリンふんわりミルクムースをサカナに発泡酒。安っぽい味のカスタードクリームの下から出てくる粗末な風味のプリンがこんな夜にはよく似合う。
『きっと ここが帰る場所』をみた。川崎はチネチッタで。

いまよりはむかし、呪いだか魔術だかを掛けられて豚の鼻を持ってしまったクリスティーナ・リッチの映画がありました。最終的にリッチはお約束通り、王子様だか橋幸夫だかの愛の力でいつものリッチな顔に戻ってしまう。でも、もともとリッチは豚鼻なので、いつもの顔に戻ったところで誰にとっても、めでたくもなんともないという、悲しい映画でした。正直、特殊メイクの豚バナを飾ったリッチはズバ抜けキュートだったし、その映画の物語は、「そんな特殊メイク豚バナのキミでもボクは今のキミを愛し続けるよ」という展開なのだから、リッチは呪いなど解ける必要がまったくなく、豚バナのまま王子様と結ばれれば良かったのに、物語が要請するラストを逸脱するなんてマジクソ映画と思ったのも懐かしい思い出なのです。
ともかく、元の姿に回帰してハッピーエンドなんていうお話はちゃんちゃらおかしいわけで、それは変化ではなく退化である。現代において進化や進歩などというお題目はもはや現実味がなく、同様にして退化などすればそれは老いた脳のひだに巣くった懐古病にすぎず、現代より間引きの数がはるかに多かった昭和三十年代を人情があふれていた時代とか言っている莫迦は休み休み死にたまえ。なんだかよっぽどイケすかない。
『きっと ここが帰る場所』なんていう題名をみたら、どこが帰るべき目的の場所なのかなんてぇのは分かりきりすぎてることであって、途中で流れる主題曲でもホームホーム歌ってるんだから、さっさとショーンはゴーホームしろよと。
「おうちにかえろう」なんて甘い話はもう流行らないどころか溶鉱炉で撹拌されて骨も残っちゃいないわけで、今となっては帰る場所やら骨を埋める居場所やら、嬉しいかな、どこにだってありやしないのです。