恥とマスは掻き捨てナマステ

ヨーグルトが好きです。アートと映画と音楽と野球は、もっと好きなようです。

成長しないものだけが届けられる感動。


トイ・ストーリー3を観た。3Dの字幕版。豊洲は1番スクリーンのE列で。*1
アニメのキャラクターは成長しない。*2ミッキーマウスしかり、サザエさんしかり。与えられた固有の性質だけをずっとそのままにして、彼らの時はずっと止まったままだ。それはトイ・ストーリーの登場人物(というか登場玩具)でも同じ。大上段の視点に立ってアニメうんぬんなんて言わずとも、彼らはおもちゃなので絶対に成長しない。それぞれが与えられている役目を全うし続けるだけだ。
しかし彼らの持ち主である人間は成長していく。良い意味でも悪い意味だとしても。成長という言葉に違和感があるならば、流転やら変遷やらと言い換えてもいい。ともかく人間は望む望まずに限らず変化していく。
だからウッディの持ち主であるアンディは大きくなって大学生となった今、おもちゃのウッディたちに見向きもしない。でもウッディたちは、箱の中でアンディに掬い上げられるのを待っている。ウッディたちがおもちゃであることはいつまでも同じだが、アンディはおもちゃを必要としない年齢になり、この先も歳を重ねていく。
「物語」っていうのは、おもちゃと同じだと思う。物語自体は歳を取るわけでもなくずっとそこにただあるのみ。周りの環境やそれを受け取る人々が変わっていくだけ。しかし。その物語をもう必要としない大人がいる一方で、その物語を大事なよすがとする子どもたちが生まれていく。大人たちが子どもたちにきちんとバトンを渡すことで、物語は連綿と受け継がれていくし、いつの世だろうと新しく息を吹き返す。
トイ・ストーリー3は、おもちゃが受け継がれていくさまを描き出す。大人から子どもへ、その子どももやがては大人になり、また新しい子どもへとバトンタッチするだろう、そんなみんなの力で確実に起こせる奇跡。そんな素敵な奇跡を声高に叫ぶことなく、いたずらに叙情に走りすぎることもなく、このアニメは丁寧に描いていく。そしてトイ・ストーリーというこのアニメや物語が、いや別にトイ・ストーリーに限らず、ほかの多くのアニメや物語だってさ、同じように受け継がれていくといいよね。そんなささやかなまでに偉大な願いの先までをも射程に入れて、このアニメはたくさんの思いを人々へ届けようとしてるってことが、もうすごくてすごくて。
思えばこのアニメは掬い上げられること、下から上への運動によってその物語が支えられていたと気づく。奈落の底に落ちた列車はバズによって掬い上げられたり。ポークチョップにより掬い上げられるおもちゃたち。ゴミ収集車に掬い上げられるおもちゃたち。クレーンによって掬い上げられるおもちゃたち。そういえばウッディが保育園から脱出するとき、屋根からパラグライダーで飛び出して、そしたら風で高く高く舞い上がるなんてこともあった。
で、持ち主から本当に必要とされるときが来るまで、ずっとずっと箱の中から掬い上げられるのを待っていたおもちゃたちは、最後にある場所で持ち主のアンディによってやっと掬い上げられるのだ。そのとき思いや願いは繋がっていく。
成長しないけど伝えられる。
成長しないものだけが伝えていける。

ご託はともかく、トイ・ストーリー3は動かないものに命を吹き込んだ、まさしくアニメーションの真髄そのものなので、なんともまぁ眼福眼福。

*1:3D作品はスクリーンのフレームを意識してしまうと興醒めになるため、D列で観てもよかったかも。(次へ活かすめも)

*2:もちろんキャラクターの成長を描くアニメなんていっぱいある。なので、「子ども向けアニメのキャラクターは成長しない」と言うべきか。それでもなんだかな。