恥とマスは掻き捨てナマステ

ヨーグルトが好きです。アートと映画と音楽と野球は、もっと好きなようです。

人がたくさん死ぬのたのしい。


ただしフィクション限定。
「世界侵略: ロサンゼルス決戦」を観た。川崎は109シネマズで。
開巻していきなり、戦争のまっただ中から始まり、否応なく戦場に放り出される。すこぶる高揚。しかし、すぐに「その24時間前……」的に時間が巻き戻り、退屈すぎる枕が始まり、ちんちん消沈してしまう。始まりから終わりまで戦場を映し続ける映画を期待するだけ野暮なのだろうと思い、気持ちを切りかえてドラマに臨む。
とはいえ、やはりドラマはどうでもいい。われわれが異星人の侵略ものに期するのは、人類が殺され殺戮され虐殺されるさまなのだから。
ハリウッドは911の崩壊を通過したのち、憑かれたようにアメリカ本土を蹂躙される映画ばかりを作り続けているわけで、なぜならアメリカ人は気づいてしまったのだろうと思う。
ふたつのビルに続けざま飛行機が激突、天へと上がり連なる不吉な煙、高所より落ちて墜ちて堕ちゆく人間、轟音と砂埃の合奏による崩落劇、さまざまな人種が白化粧して等しく白人となりて逃げ惑う姿、まさに最高のスペクタクル。
つらい、かなしい、ひどい、やるせない、いたたまれない。ありとあらゆる痛ましい感情が襲い来るなかで、それでも湧きあがって止まない情動をアメリカ人は見つけてしまったのだろうと思う。伽藍の崩壊によって生まれる、背徳からくる恍惚の情動を。
とはいえさすがに直視する勇気はないのか、アメリカ人どもが虐殺される様は遠景で捉えられるのみで、接写で映しだす死の情景は主要人物たちに限られている。そのくせ異星人の体は平気な顔で損壊しまくる。冷徹で野卑に現実的な視線で。おたけびを上げながら装輪装甲車を運転し、異星人たちを轢き殺しまくる。爽快かつ絶頂のさなかに。わたしたちが愛したアメリカ人はこうでなくっちゃいけない。
異星人侵略ものの決着における常道を「ロサンゼルス決戦」はまたしても外さなかった。敵の司令部をやっつけさえすれば人類の勝機は生まれるという王道。正直、古いと思う。中枢さえ倒せば万事うまくいくという時代はとうに過ぎたと思う。
結局この映画も古い想像力によって支えられているに過ぎない。とはいえ。わたしは古き良き物語の形式を未だに、いやさ今だからこそ愛している。いつもの展開と決着に舌鼓を打ち、安堵して家に帰り、布団に丸まって、明日またいつも通りに生きてゆく。異星人になど出くわすわけもなく。同じ星に生まれた者たちとの争いだけがひたすら続く。