恥とマスは掻き捨てナマステ

ヨーグルトが好きです。アートと映画と音楽と野球は、もっと好きなようです。

とってつけたように人が死ぬ。

アントキノイノチ」を観ました。109川崎で。

瀬々敬久は、「肌の隙間」と「ヘヴンズ ストーリー」しか観てないけど、とても好きな監督さんなので、かなり期待して観ました。
★前半部の断片的なおもしろさはどこへやら、中盤あたりから物語の終結へと向かっていく流れが、恐ろしく詰まらなくなっていく。監督が違うのかなとすら思うほど。
★映画における物語の役割ってなんなのかなっていつも思う。映画ってのは映像だけがまずあればいいわけで、物語なんて代物は、映像を魅せるための言い訳だったり口実に過ぎないと、わたしは思う。ところが多くの映画評や感想やらは、脚本レベル、物語レベルでしか述べてなかったりする。映し出されている画に関しては無頓着だったりする。そんな感想だったら、いちいち映画を観ずとも脚本だけ読めばいいんじゃないかって。わたしも含めて。そして、この感想もそう。
★ともかく。一方で脚本・物語レベルだけでも語れてしまうところに、映画という表現媒体のふところの深さがあるように思う。ともすれば映像や脚本さえ抜きにして、音楽だけで語ることもできてしまうのだから。
★で、「アントキノイノチ」だけど。映画の終盤、いわゆる昨今のシネコン系日本映画の宿命とでも言うべきか、とってつけたように人が死ぬ。感動を誘うために、物語を収束させるために、とってつけたように人が死ぬ。
★人間の生死を物語に奉仕させる所業は、「アントキノイノチ」に限らず、多くの日本映画において採用されている手法だけれども、もしかしてこれはいっそ清々しいものなのではないかと、本心より皮肉抜きで感心してしまうわけです。
★でも。製作委員会システムのせいなのか、監督によるただの気負いすぎなのか、はたまた原作のせいだったのか分からないけど、インディーズな土壌ではおもしろい映画を撮っている人が、全国公開系の映画のときは戦慄するほどに情けない映画を撮ってしまう現状は、やはり不幸なことだと思います。