恥とマスは掻き捨てナマステ

ヨーグルトが好きです。アートと映画と音楽と野球は、もっと好きなようです。

印象派が征服した世界の光景。

フィリップ・フックとかいう人の『印象派はこうして世界を征服した』の中にも出てくるエピソードだけど、印象派の絵画がパリで初めて披露されたとき、その展覧会に訪れた人たちの多くが憤慨したという。今までの西洋の絵画というものは、写実的であるのが当たり前。聖書や神話などの架空の世界を描いたにしても、それは「リアル」に描いて当然。それに比べて印象派とやらはなんだ。猿に絵筆を持たせて描かせたみたいじゃないか。
しかし、印象派が切り開いた道のおかげで、キュビスムダダイスムシュルレアリスムだと、いま我々が知っている美術の豊潤な世界は作られた。そして、印象派の絵画にベラボーな値段の付けられている現代からすれば、印象派に対する当初の非難ゴーゴーなど、今や隔世の感がありけり。
そんなわけで現代人たらんとするべく行ってきました。

国立新美術館の「オルセー美術館展2010」。
★まず入ってすぐ、ドガの「階段を上がる踊り子」がある。

いいですねこれ。階下より稽古場へと、足運びも麗しい踊り子。写真のように切り取られた瞬間。この絵を観て、フレデリック・ワイズマンの映画「パリ・オペラ座のすべて」を思い出しました。あの映画の冒頭は、確かオペラ座の地下から始まりそして上の階へと進んでいったと思うんだけど、下から上へと昇る運動というのは、バレエの踊り子の踊りそのものだなぁと思う。
★ドニ「セザンヌ礼賛」。

静物画を囲みながら黒ずくめの男たちが語り合ってるさなか、右端の女性がこちらを見つめている。そしてほかにも視線を感じるので、ふと下に目を遣れば、猫がこちらを睨んでる。
★モネ「ロンドン国会議事堂、霧の中に差す陽光」。

これだけの描写でも、ロンドンと理解できてしまう。印象派は人間の認識力の豊かさを証明したのかも。
★ルドン「キャリバンの眠り」。

キャリバンの周囲を飛び交う妖精というか生首っぽいのがなんか怖い。青空と眠りの様子が平和そうなだけに余計禍々しく感じる。
★モロー「オルフェウス」。

これがいちばんよかった。この絵は印象派という枠組みより、象徴主義に入るらしい。ノー教養なので卑近な感想しかありませんが、漫画『HUNTER×HUNTER』でメルエムが薔薇にやられて黒こげになった画を思い出した。で、左上に牧神。右下に亀。音楽の天才であったオルフェウスと亀の関係は、オリュンポスの神ヘルメスに由来するらしい。ヘルメスは生まれたその日、亀の甲羅を用いて竪琴を作ったという。やがてその竪琴は神アポロンへと渡る。そしてアポロンの息子がオルフェウス。その亀が、絵画では二匹でウロボロスのような形の陣形を取っている。オルフェウスの死は再生へとつながるのだ。たぶん。
ところで。展覧会を鑑賞中、ゴッホの絵が飾られているスペースで聞いた、とあるカップルの会話が印象に残った。

女性「あの絵は1億ぐらいするのかな?」
男性「ていうかこのフロアすごいんじゃね? 10億は下らないでしょ」

印象派はこうして世界を征服した』という本は、オークション会社で活躍した競売人が語る印象派の話なので、とにかくお金の話ばかり出てくる。印象派の絵画がいかに世界で高値が付くようになっていったか、題名の通りに「印象派はこうして世界を征服した」を追っていくので、俗物根性のわたしは楽しく読み進めることができた。わたしが「オルセー美術館展2010」を観に行ったのは平日の午前だったけれど、さすが世界を征服した印象派の展覧会だけあって、すごい混雑ぶりだった。先のカップルが交わしていた会話は印象派の感想として圧倒的に「正しい」と思う。
佐々木敦が『ニッポンの思想』で、

確固とした尺度になり得るものとして残されていたのは、もはや「値段」だけ
http://010734.tumblr.com/post/169378297

とか言ってたけど、日本に限らず全世界的に、「値段」という化け物は芸術に対して、いや、ありとあらゆることどもに対して権勢を振るっていることだろう。しかしそんな「値段」の地位ですら、インターネットの行き渡った現代では危ういように思えるから、安心して今日も酒がうまいのよ。