恥とマスは掻き捨てナマステ

ヨーグルトが好きです。アートと映画と音楽と野球は、もっと好きなようです。

森に棲むのは本当に悪魔か。

アンチクライスト」を観た。閉館前のシネセゾン渋谷、「ラース・フォン・トリアー監督オールナイト」で。

白黒スーパースローで描かれる夫妻の性行為と子どもの墜落死。机の上に小さな像が三つ並んでいる。子どもはその三つをなぎ落として机に上がり、窓から落ちて死ぬ。夫と妻と子ども。三つのひとつが欠けたことで物語は動き出す。キリスト教における三という数字の持つ重み。
子どもの死は性行為に没頭したせいだと苦悩し精神を病む妻。精神科医による治療をやめさせ自分の力で妻を治療しようとする夫。
夫と妻の対話。画面上、妻は左を向いている。もちろん切り返された夫は右向き。会話時における通常の撮り方。しかし、会話が進み、あるとき切り返すと、夫が左向きで喋る画になっている。妻に切り返すと最初のまま妻は左向きの画。夫は「アイ・ラブ・ユー」と口にする。向き合っていない中で放たれた愛の言葉は、当然だれにも届かず宙に漂うだけ。夫婦のディスコミュニケーションを描くため、イマジナリーラインが意図的に侵犯されている。
夫と妻は森へ行く。
「森」とは女性原理、太母。理性や知性の外側。無意識の生に支配されしところ。
夫は森で牝鹿、狐、鴉に出くわす。
「牝鹿」は上品、優雅、ときには臆病さなどを表す。そして母性愛の象徴でもある。「狐」は狡猾で嘘つき、キリスト教においてはずばりサタン。「鴉」は預言者や使者の象徴であり、その口から告げられる内容は不吉なものばかり。
そういえば。夫が雨漏りの修復のため森の小屋の2階へと上る。そこで夫が目にしたものは、妻が集めていた女性弾圧の歴史資料なわけだけど。秘密のものに触れるときは地下が多いけど、この映画では上の階。妻の秘密は「抑圧」として描かれていない。
ところで。メンデルスゾーンの歌曲に「最初のワルプルギスの夜」というものがある。これはキリスト教によって山の奥地へと追いやられたドルイド教徒たちが悪魔の扮装をし、最後にはキリスト教徒たちを追い返し、高らかに勝利を謳い上げるというもの。ドルイドといえば森。キリスト教から見れば異教はすべて悪魔。参考図書になるかどうかは読んでみなきゃ分からないけどハインリヒ・ハイネ『流刑の神々』を読まなきゃと思ってます。
この映画、欧米では女性蔑視がひどいと批判する向きがあったようだけど、そもそもキリスト教こそが女性蔑視の最たる宗教だったわけで。聖母マリア信仰なんてものは地母神信仰の受け皿としてアリバイ的に生まれたようなもので。
最後。眼前に繰り広げられる風景。ひとりの男。森。そして無数の女。一神教という男性原理が多神教の女性原理を前にして呆然とせざるを得ない風景に思える。母なるものどころか女そのものに世界が飲み込まれていく光景でもある。とても美しい。