恥とマスは掻き捨てナマステ

ヨーグルトが好きです。アートと映画と音楽と野球は、もっと好きなようです。

つまらないという恐怖。

昨日は健康診断へ行くついでに会社を休み、オルセー美術館展に行って、そのあと映画を三本ハシゴー。
で、一本目は「恐怖」。テアトル新宿で鑑賞。94分のうち60分ぐらい寝ました。申し訳ない限り。
始まってすぐ、古いビデオ映像が流れる。どうやらどこかの病院か研究所のよう。で、この映像がしょぼい。古い映像だからしょぼいとか言いたいんじゃなくて、正真正銘にしょぼい。映像に傷が付いてる風にしたりして、その古さをアピールするんだけど、無理から古い雰囲気にしようとしてるのが見え見えで安っぽすぎ、いきなり興ざめ。
そして片平なぎさ登場!
いやぁ、うん、片平なぎさね……片平なぎさか……片平なぎさかよ……目力がすごいよね……。出てる女優を確認もしないで観ちゃったわたしが悪かったです、ごめんなさい。テレビなら映える女優なんだろうけど映画としてはどうなんだろう、演技といえば目を見開くだけだし。もう火曜サスペンス劇場にしか見えない……。
ちなみにこの映画、「恐怖」って題名だけど別に怖くない。中学生が「おれ全然怖くねえよ!墓地とか行っても全然平気!朝蜘蛛とか殺しまくり!」とか粋がってるわけじゃなくて本当に怖くない。題名だけでホラー映画だと勝手に期待しちゃってすいませんでした。片平なぎさの顔は怖かったです。昔のなぎささんは綺麗ですね。このあと、いきなりすっごいネタバレします。

ネタバレしますよ。いいですか?
あんま大したことのない役回りの人間が、「人は死んだらどこへも行かないよ、ただ消えるだけ」とかいう感じの、まぁ実質どうでもいいやあって程度の含蓄もないセリフを吐く。ところがなんと、どうでもいい人間がぬかすどうでもいいと思われたセリフが、ラストのラストでリピートされまくって、この映画は終わるの。そんな大事なセリフならもっと別の重要な役にしゃべらせたほうがいいんじゃないかな、と思いました。ところでジム・ジャームッシュの「リミッツ・オブ・コントロール」のときも思いっきりずっこけたんだけど、映画を言葉による説明で終わらせちゃうのってどうなんかな。訴えたいテーマそのものを、まんま言葉にしちゃうのっていいんですか。
腐してばかりもなんなんだけど、「お、これいいかも」って思ったこともありました。
後半、冒頭に出てきた古いビデオ映像をみんなでまた見たりする。この映画の設定では、脳のある部分をいじられた人間はあの世を見ることができるということらしい。で、古いビデオ映像っていうのが、ロボトミーされちゃった人たちが白い壁を見つめてる映像なのね。彼らが壁をずっと見ていると、すっごく明るい光がパーッと壁に広がっていく。その光の向こう側があの世かも的なことなんだけど、光をずっと見続けていると、なんとその映像を観ている片平なぎさたちが映るの。そのとき片平なぎさが「わたしたちが見ているつもりになっていたけど、実はわたしたちが見られていたのよ!」、はいドーン!っていう驚愕の事実。鼻ほじりながら驚きました。鼻がかゆかったんです。また、そのとき光の向こうにカメラがぼんやり映るわけ。スクリーンの中にカメラがあって、観てると思ってたら実は観られてた、切り返しにあっていた。なるほど、この映画はメタな仕掛けに進む気だな!って一瞬興奮した。でも、そのあとそんなことも特になく、淡々と進んで、「ただ消えるだけ〜」で終わるので、やっぱもういいや。
最後にどうしても気になるんだけど、脳を改造された人たちだけがあの世を見ることができるってことなのに、なんでビデオ映像にもあの世の光が映り込むんだろうか。なにか説明ありましたっけ。このへんよく分かんなかったです。
映画三本ハシゴのうち一本目を消化。次はイルカの映画です。