恥とマスは掻き捨てナマステ

ヨーグルトが好きです。アートと映画と音楽と野球は、もっと好きなようです。

映画「ノルウェイの森」が駄作であるたったひとつの理由。

ノルウェイの森」を観ました。豊洲で。

原作は未読。というか村上春樹の小説は一篇も読んだことない。思うところあって意識的に読むのを避けています。でもエッセイなんかは読む。
なので。
原作と比較してどうとかは分からないけど、おそらく映像化には不向きな小説なのだろうとは思う。しかしどうにか映画にしようという監督の誠意は伝わってきた。松山ケンイチがやたらと歩く。ひたすら歩き回る。手紙が届いたら歩きながら読む。読み歩く。やはり映画とは動きの画があってこそ成立するものだと思う*1ので、歩き回さざるを得なかったのかなと邪推する。
菊地凛子が昔の彼氏とセックスできなかった件を松山ケンイチに告白するシーン。草原の中を菊地と松山は左に進みユーターンして右に進む。その動きに意味はあるのか。ないと思う。動かすだけであれば、それは映画ではなく動画に過ぎないように思う。
そのシーンも含め、全体的に真横から水平に撮ったショットが目立つ。あとバストショットも。若者の閉塞感と狭い世界に生きている感じを出したくてわざとバストショットを多用しているのかとも思ったし、そうなってくるとロングショットを使うとき、この映画は大きく転換するのではと思ったんだけど、そんなことなかった。バストショットが多用されたことはあまり意味がないっぽい。
で、「ノルウェイの森」というのは性的にあまりに性的な物語なのでしょう。それなのになんでセックスシーンで乳首を出さないのかな。菊地凛子のときもそうだし霧島れいかのときもそう。原作は着衣セックス推奨の物語なのかな。伝え聞く話だとちがうようなんだけど。
制作にフジテレビが絡んでるのをクレジットで知った。製作は亀山千広。PG12。
性的な映画なのに乳首が出てこないとかあり得ないでしょ。俺に乳首を見せろ。恥を知れ恥を。
要するに乳首が出てこないので駄作。自信を持って断言できる。駄作です。

*1:とはいえ「眠り姫」みたいな映画もあるわけで、映画には必ずしも動きが必要とは強く言えない。大事なのは動と静のバランスだろうとも思う。