恥とマスは掻き捨てナマステ

ヨーグルトが好きです。アートと映画と音楽と野球は、もっと好きなようです。

泣けるゾンビ映画。

ビックリしたい! とか。
ドキドキしたい! とか。
臓物をぶちまけろ! とか。
みんながホラー映画やゾンビ映画に期待するものといえば、要するにぶったまげであって、感動して涙を流したいなんて人は、まずいない。
バタリアン』の最後、核爆弾で街ごと吹っ飛ばされてゾンビが可愛そう、と哀惜の涙を流す人、いやしない。
『ペット・セメタリー』で可愛がってたペットがよみがえって良かったねえ、と感極まって泣きだす人。ついぞ聞いたことない。
みんながみんな、驚きと恐怖と時には快感を味わいたくて、血しぶきが飛び散りまくるのを今か今かと待っている。
みんなは別に、さぁ泣くぞ泣いてやるぞと、胸を一杯にしたいがために、血肉がまき散らされるのを待ってるわけじゃない。
でも泣いてしまった。そんなゾンビ映画があってしまった。
REC/レック3 ジェネシス』。川崎はチネチッタでみた。

まずはやるせない前置きとして。
モキュメンタリーは好きじゃない。
最近みた『トロール・ハンター』は当然乗り切れず、ちまたですこぶる評判のいい『第9地区』なんぞも、まったく良さがわからない。
ドキュメンタリー形式で観客にカメラの存在をさんざん意識させときながら、途中から映画の手法で普通にカメラが回り出す。
エビ星人をクローズアップで撮っているこのカメラはなんなんだろう。最初っから普通に映画として撮ればいいのに。
モキュメンタリーはどっかしらでリアリティの整合性がおざなりになるため、白けてしまう。だから、どうにも苦手。
『レック3』においても、披露宴のスライドから始まり、登場人物の手持ちカメラが結婚式、披露宴の状況、やがてゾンビが登場するさまを撮し出す。厨房の扉を閉めて、ひと息つく新郎たち。ゾンビ大量発生の緊迫した状況でカメラを回し続けているカメラマンに新郎が激昂、カメラを蹴り壊す。そこから普通に映画が始まってしまう。あまりに映画的な普通の切り返しをしているこのカメラは一体どこから湧いて出たんだろう。そういう疑念がへばりついてしまい、映画にのめり込めない。ハナから映画なカメラが回っていれば、カメラを意識することもなかったのに。タイトルが『REC』なもんだから、どっかしらRECしなきゃいけない、そういう制約があるのは重々承知で、じゃあ徹底しろよと思ってしまう。
でもそんなやるせなさはどうでもいいんです。今となってはどうだっていいんだ。リアリティなんざリビングデッドの餌にでもしてやればいい。
性に放埒な輩どもは真っ先に死ぬ、というホラー映画の王道がくつがえされたあたりで、どうも様子がちがうと胸が躍りだす。そしていきなり。
花嫁がチェーンソーを振りまわす。

事ここに至りて、この映画における今までの瑕疵はすべて許さざるをえない。
要するにこの映画は、花嫁にチェーンソーを持たせたい映画だった。そのためだけに結婚という舞台が設定されており、ひたすらチェーンソーに向かって映画は進んでいたのだ。その高潔さ。
花嫁が地下道になぜか転がっているチェーンソーでウェディングドレスの裾を切り破く。アイシャドウが落ちて目尻をゴスにした花嫁がチェーンソー片手に新郎のもとへと駆けていく。映画は一気に加速する。伏線が回収され、花嫁の壮絶な決断を目にし、クライマックスにおける新郎新婦の姿にひたすら目頭が熱くなり、泣く。
チェーンソーが教えてくれた。
結婚ってすばらしい。